後頭部が微かに痛む感じがずっとある。低気圧のせいか、はたまた日々増えゆく酒量のせいか。このあいだカクテルシェイカーを買ったので、毎晩しゃかしゃかとやっている。コアントローを少し多めに入れたバラライカが美味しい。缶チューハイでないだけ、だいぶ丁寧で身体にも良いだろうと思っているが、冷静に考えれば50度のウォッカと40度のコアントロー、それにポッカレモンを混ぜた甘いのを気持ちよく煽っているのだ。1、2月は継続できていた筋トレ・ランニング・低カロリー生活はいつの間にか立ち消え、3月は日記すら書けていない。流石に思い出せないから書かなかった日の分は嘘日記にでもしようかと思っている。嘘なら書けるだろうか、山口さんは「創作だと筆が進むんだよね、本当の日記はだいぶ書きづらくて」と言っていたが、僕は正反対だ。そういえば『デリケート』は発売日にお店で売ってもらって、帰りの電車で一気に読んだ。感想みたいなものも書きたいがいつになるだろうか。
あなたという人間を規定しなさい、コンパクトにまとめえた「コード」をこっちに寄越しなさい、と要請され続ける中で、プレゼント用の自分を作り出してしまう。そこに「私」なんてものが濃厚に存在するはずもなく、私が考える私っぽい感じを提出し、これがコイツっぽい感じなんだろうなと、アイツが判別するだけである。
武田砂鉄『わかりやすさの罪』朝日文庫 2024 p.180
就活に中指を立て続けていた。今でもシューカツという気の抜けた軽薄な言葉の響きが嫌いで、そんなものやってたまるか、俺は「就職活動」をやるんじゃ、と頑なに言い張っている(昔ワカオくんに「愛すべき面倒臭さ」と言われた)。しかし今まで避けていた情報に触れれば触れるほど既に手遅れな気がしてきて、どうして世の人は自分や自分の過去を定型みたいなものに当てはめることへの抵抗がないのか、いやあったとしてもなんとか受け容れて生きていけるのだろうか、クソ、分かりやすい商品になってたまるか、と思う反面、どこでも良いから入れてくれ、なんでもするから、と自棄にもなっている。そういえば恋人がこの日記を読んでいて「実はこの人のこと何も知らないかもしれない」と不安になったらしく、言われてみれば確かにそうだ、ホナミちゃんにも「あの日記は怖い、すごく遠く感じる」と言われた。
今日は昼から働く日で、起きてシャワーを浴びたら服を選ぶ間もなく遅刻しそうな時間だった。アプリを見たら雨のマークもあって寒いことが予期されたが、いつまでも春めかない曇り空へのささやかな抵抗として、半袖のシャツに革ジャンを羽織って出た。