手許にある小説の、何か気の利いた一節を引用しようと思って本棚をひとしきり眺めたが、どれも適当ではないように思えて止めた。唯一手に取ったのは『ライ麦畑』で、折ったページのところを読み返してみたがあまりに無粋だろうと思われて、ホールデン君の気持ちは痛いほどよく分かるが、と同情だけしておいた。こと処世にかんして啓発を得るには漱石が良い。高校のときは文春新書から出ている漱石の名言集を買って何度も読み返したものだ。『野分』や『虞美人草』、『私の個人主義』あたりが特に良い。書簡の優しく勇気づけるような文体も好きだった。
このあいだ書くこと喋ることの妙みたいな話になって、おれは書くのは実は嫌いですね、と言った。文章を書くのは面倒だ。書くという行為にはたぶん二段階あって、行為のほう、タイピングをするとか紙の上にペンを走らせるだとかは好きだし得意なのだけれど、こと文章を生成するという段になると一気に面倒臭くなる。はっきり言って嫌いだ。どうしてそんなに面倒なことをしなければいけない、だからリアクション・ペーパーだとかエントリー・シートだとかを白紙で出して落第したり浪人したりしている。寿司打や漢字ドリルだったら喜んでやる、幾らでもやる。小筆の扱いには通じていないが写経も悪くない。そういえば死んだ爺さんが曹洞宗なので法事のたびに般若心経を聴けるのだが、読経が始まると親戚の子どもたちは興奮してずっと笑いを堪えている。もっと我慢せずに踊り出していいんじゃないかと、いつも思う。身体が反応するのだろう、フロウとビートのある立派なヒップホップだ。因みにおれは焼香のときのあの「押しいただく」というやつ、抹香を三本指でつまんで額のところへ持っていく所作が大好きで、その瞬間は恍惚として我を忘れている。軽く頭を垂れて右手をすっと額の前へスライドさせ、瞼を閉じると静かな絶頂を感じる。ナルシシズムの極致、自分がこの世で一番美しいのではないか。すっと腕を下げ、香をはらりと落とす。二回繰り返せるのも良い。羯帝、羯帝、波羅羯帝。爺さんは熟れた白桃を好んでよく食べた。