2025.04.15

自分の部屋で起きたのはいつぶりだろうか。3LDKの実家の、むかしは「ピアノの部屋」と呼ばれていた一室に、かつてはヤマハのアップライトとローランドの電子ピアノの2台が、壁に沿って並んでいた。一台あれば連弾もできたはずだ、教室を開いていたわけでもない。僕が中学生になり、流石に自分の部屋が欲しいと両親に言ったところ、ローランドが月夜野の親戚の家に輸送された。空いた場所に机や本棚を置いて今に至る。さらに馬鹿でかいワードロープもある。ほんらい人が寝るための部屋ではなかったから床の面積が極端に狭く、ワードロープとピアノの隙間に布団を敷いて寝ている。しかも本で溢れているからたまったものではない。それでもやはり部屋に対する愛着はあり、ここ半年はほとんど家で寝てないなかったからなおさらで、なんだか感慨深くなって午前中は本棚の整理をした。マジで全然読めてない、本を買い集めるだけのマシーンと化している。部屋におもろそうな本しかない、困る。本棚も足りていない、キャパを超えている。定価で換算したら新車を買えるくらいにはなるんじゃないか。ピアノを適当に弾いてまた寝た。

新幹線に乗りストゼロ、東京駅で乗り換えて京葉線で檸檬堂、昨日の日記を書いてインスタに上げる。ほどよく酔ったあたりでようやく海浜幕張に着いてタオちゃんと待ち合わせた。去年の今頃も来た。例の最終面接のあと、とても惨めな気持ちで到底家に帰る気分ではなく、憔悴しきってふらふらと辿り着いたのだった。今年も大して変わらない、いやもっと惨めかもしれないが、気持ちの供養、必要な儀式なのだ、と無理やりタオちゃんを呼びつけている。ありがたいことだ。背番号8、中村奨吾のレプリカユニを買って外野の応援席へ。消費行動によって「推し」が生まれる瞬間、などと思う。ビールを際限なく飲んでとにかく声を出した。斜め前で応援していた男の子が、やけに後ろをちらちら見て来るので、目を合わせてにこにこしてあげたら喜んでいた。気づいたら1イニングに8点取られていた挙げ句、ロッテは打線が全く繋がらず、チャンテを一回も歌うことなく試合が終わった。ネフタリ・ソトの例のやつもやらなかった。意味が分からない。

帰り道でタオちゃんと言い争いになった。何かきっかけがあったわけではないと思う。タオちゃんから「お前甘えてんじゃねえよ」みたいなことを言われた。「2留もして親に甘えてるんじゃない、たしかに辛かったのかもしれないけど、それでいて他の人に対して羨ましさや『お前らは苦労してないだろ』みたいなことを安易に思うべきではない、自分だけが辛いと思うなよ、目的があるなら逆算して考えてそれに向けて努力しろよ」という趣旨だったのではないか。だいぶ酔っていた。憤慨して強く言い返したか、いや何を言い返したかもあんまり覚えてないんだけど、改めて読んでみれば彼の主張が至極真っ当なようにも思える。「自分に同情するな、自分に同情するのは下劣な人間のすることだ」という言葉を僕はたしかに好きだけれど、他人に言っていいものではないとも思っている。そういえば高校3年の冬に、「お前もう数学やめたほうがいいんじゃね、やるだけ無駄でしょ」と一緒に帰っていたタオちゃんに言われ、受験直前まで国立を目指して文系数学の勉強ばかりしていて、でも結果が全く出ないことに焦っていた僕は「は? ざけんな」とだけ言い残して独りで帰ったことを思い出した。それに似ているようだし似ていない気もする、もっと根深い問題なのかもしれない。人には人の地獄があるのだ。京葉線の中でも人目をはばからず大声で言い争い、タオちゃんはどっかの乗り換え駅で降りて行った。別れ際に「てめえ見てろよ、黙らしてやっからな」と僕が言うと、タオちゃんは少し間をおいて「おう」と言った。些か飲みすぎた、どうしろっていうんだ。クソが。