講義に出るのを早々に諦め家でしこたま寝る。14時ごろに起きると、どういうわけだか千葉の金谷港あたりに行った記憶が次々と思い起こされ、あれは大学1年の夏だっただろうか、独りで久里浜から東京湾フェリーに乗って金谷へ行き、「岬」という名前の海沿いのカフェで珈琲を飲んだあとふたたびフェリーで帰って来た――ということがものすごく尊く思われ、金谷はそのあと2回くらい行ったのだけれど、また行きたいと思う。当時受けていた語学の授業は、レポートと称してどんな文章を送ってもよい週があって、その都度先生が簡単なコメントをくれたのだけれど、そういえば金谷のことを書いたなと思い出してドキュメント・フォルダを漁ったら「雑文」という題のワードファイルが出てきた。
村上春樹を授業の中で取り上げてくださって嬉しいです。先日、ふと思い立って『スプートニクの恋人』を片手に、千葉県の金谷という小さな港町に行ってきました。密を避けて、ひとりで。スマートォンをリュックの奥底にしまって、なるべく使わずに行動することをルールにしました。五感に頼って気になったところに行こう、と。
横浜市の自宅から久里浜まで電車で行き、そこからフェリーに40分ほど乗りました。主人公が「すみれ」を探してギリシャの島に向かうシーンが、フェリーのデッキで小さな旅に向かう自分と重なって気分が上がりました。海岸沿いの岬にぽつんと立っているカフェに入った途端、東京湾をまっすぐ突き進んでくる竜巻……ではなく小さな雨雲に襲われ、嵐の中に包まれるという不思議な天気だったりして。
自分のことを誰も知らない田舎と、好きな小説の世界に浸る。気づいたら、人と人のかかわりの中で揉まれることをリセットしたくなってきて、次の日には体育会の部活を辞めました。全てを一つのことに捧げることの美徳もとてもよく分かるのですが、本と旅を愛して、俗に教養と呼ばれるものを求めようかな、と。国外にも目を向けてみたいですし。なんというか、村上春樹作品の主人公に憧れてしまいます。会話の中で、とにかくお洒落なワードがたくさん出てくる。飾らないかっこよさって言うのでしょうか、その、良い意味での孤独さに魅力を感じます。英国紳士にも、それに通ずるものがあると思います。
だから他のサークルに入る気もさらさらなくて、大勢の中の一人になることが苦手なのだと思います。男女で集まってディズニーランドに行くとか、飲み会でわいわいするだとか。否定する気はさらさらないですが、そういう、なんだろう、大勢でいると、皆が、自分を飾り立てて認められたいと思ってしまうのかもしれません。そういう欲望を見聞きすることを苦痛に感じてしまいます。ひそかに心の内で見下してしまいます。小さい人間です。
そういった点で自粛期間は快適です。他者と必要以上に接することは、表に出さないけれど疲れます。好きなように出かけられないのは不便ですが、スマートフォンの通知を切ってさえしまえば社会とのかかわりを断つことができるからです。実際はそうも言っていられませんが。他人に構うことに疲れてしまうのは、自分に余裕がないからかな、とも思っていました。部活を辞めたのは、その余裕をつくるためでもありました。でもあまり関係ないようです。どう在るべきなのかは全くわかりません。
2020年6月4日
本当に行こうかと思って京急の割引切符を買うためにアカウントを作り電車とフェリーの時間を調べ、服を着替えてヘアワックスを出したところでやはり全てが面倒臭くなって、やめた。夜になってから3km走って、ジムに戻ってから5kmサイクルマシンをやった。