厭でもキャリアプランというか、この先の人生について考えざるを得ない。たしかにここ3、4年くらいふらふらしていて、大学に通ってはいたけれど先のことを一切考えられなかったし、そんなものは存在しえないとも思っていた。現実感を甚だしく欠いていたのである。自分が過ごす/過ごしたであろう時間について関心を向けようとも思わなかったのだ。しかしどこか奥底では普通の、というか一般的な就職をして一般的な人生(一般的な人生?)を歩めるものだと思い込んでいたようで、でもそれは思っているだけで現実になるわけがなく、実際に手を動かし足を動かし現実をみずから作っていくべきなのかもしれなかった。そうして今、将来のことを考えるフェーズにあって、どうしたものか……と思い悩んでいるかと思えばそんなこともなく、やはり毎日クネクネと生きているのである。どうしようもない。
何が言いたいのかわからなくなった、全部嘘なのかもしれない。友人には若いうちに死ぬつもりだったとか、27で死んで無名でも何かを成したつもりになってやるんだとか言ったこともあるが、そのときはそれが本音だったのかもしれず、さっさと退場しちゃったほうが楽だろう、もうこうなってしまったら5年後、10年後にどうなっているかが全く分からない。キャリアなんてダサいこと言ってんじゃねえよクソ喰らえ、と思っていた時期もあったがそれはただ現実から目を背けていただけで、いざ自分が矢面に立たされてみると非常に心許ないのである、ダサいのは外でもなく自分だったのだ。そういえばこの間読んだ川上未映子の小説で語り手の年齢を「人生がひとりでに折りたたまれゆく」時期という表現をしていて、そうか人生は勝手に折りたたまれるんかあ、などと呑気なことを思ったが、村上春樹も東浩紀も似たようなことを言っているのであった。
このようなことになって非常に申し訳なく思う。誰に? わからない。申し訳ないと思うなら何とかしろよというのが正論かもしれないが、どうやらその気力もない。どこか他人事でその責任を引き受ける覚悟があるのかないのか分からない。あるいは折り返し地点が11歳だったのかもしれない、なんだか遺書のようになってしまった、
それでも彼は35歳の誕生日を自分の人生の折り返し点と定めることに一片の迷いも持たなかった。そうしようと思えば死を少しずつ遠方にずらしていくことはできる。しかしそんなことつづけていたら俺はおそらく明確な人生の折りかえし点を見失ってしまうに違いない。妥当と思われる寿命が78が80になり、80が82になり、82が84になる。そんな具合に人生は一寸刻みに引きのばされていく。そしてある日、人は自分がもう50歳になっていることに気づくのだ。50という歳は折りかえし点としては遅すぎる。百まで生きた人間がいったい何人いるというのだ? 人はそのようにして、知らず知らずのうちに人生の折り返し点を失っていくのだ。彼はそう思った。
二十歳を過ぎた頃からその〈折りかえし点〉という考え方は自分の人生にとって欠くべからず要素であるように彼は感じつづけてきた。自らを知るには自らの立った場所の正確な位置をまず知るべきだというのが彼の考え方の基本だった。
村上春樹「プールサイド」――『回転木馬のデッド・ヒート』講談社文庫 2004 pp.62-63
5限の後におこなわれる映画鑑賞会は、今日からトリュフォーの『アメリカの夜』だ。今期『ピアノ・レッスン』『アポロンの地獄』と続いたこの会は、5限で美学を教えている先生が放課後の教室で映画を流しながら、相席食堂さながらにストップをかけつつ解説するというもので、有志で集まった学生がいちいち「はい、今のシーンでわかったことはなんでしょう?」と問いかけられる参加型だ。たしかに小説や批評の読み方は文学部の授業でも講義してくれるうえに、いくらでも本を読み書きながら血肉にすることができるけれど、解説を交えながら映画を精読、ならぬ精観することは滅多にないだろう。おかげで大分、「映画の観方」なるものが鍛えられてきた気がするが、毎週終わった後はへとへとになる。
それで今日は藤野くんと飲みに行った。先月は新宿のDUGやゴールデン街へと繰り出していたが、「今日はなんか汚い居酒屋の気分だわ」という彼のリクエストで、僕が最近初台で見つけた、あまり汚くない小さな居酒屋へ連れて行った。ボトルキープしてあったキンミヤをふたりで割って、お好み焼きを食べた。