2025.12.01

文学フリマがあって、売れ残った本とブースの資材を段ボールに詰めて自宅に送ったのだけれど、届いたその箱を開けずに一週間が経った。一旦ぜんぶ忘れたい。やれ売れ行きがどうだとか、プロの書き手(とは?)は参加するなとか、挙句の果てに物騒な話題まで出ているが、あんまり深く考えたくない。人混みに身を置いた反動か、あるいは何かを認めたくないからなのか。思ったほど売れなかったことを悔やんだり、他所を羨んだりしているわけではない。もっとも個人的には売れなかった、とは思っていないけれど、売れなかった、あるいは何かに「負けた」と同人に思わせてしまったことに対して負い目がある。

もともと自己完結さえしていればよかったのだ。文フリ東京とともに、自分たちの雑誌も大きくしすぎた。あとは勝手にしてくれ、と思う。ここに来ておれが自棄になっている。どうせ次はないのだ。とはいえ作りたい物をようやく作れたという自負はある、会いたい人にも会えたし、良い会話もできた。初めて会ったきたのさんが、日記におれのことを書いてくれて嬉しかった。目を良いと言ってもらうことが偶にあるが、その全ての場面をこの先ずっと忘れないだろう。声は初めてだ。

誕生日だった。「今年で24になります」と方々で言ってきたので今さら数字が増える感慨もなく、二日酔いでもないのに昼過ぎまで寝ていた。かといって一日を無為に過ごすのは癪で、にわかに遠くへ行きたいという欲が出てきてスカイメイトの航空券やら熊の出没情報やらを調べはじめたら夕方になってしまった。よそ行きに着替えるのも億劫で、スウェットのまま、半ば家出するように車を出して圏央道から関越に入り、碓氷峠を越えて上田に着いたのは19時過ぎだったか。思えば5年前も衝動的な遠出を繰り返していた。和歌山から今治に向かう夜行フェリーの中で二十歳になる瞬間を迎えた。それこそ「無頼」ではないが、当時はそういうのが格好いいと思っていたし、今でもそう思っている。