2025.07.10

朝に起きられたものの授業に行く気力が全くなく、シャワーを浴びて再び眠った。いい加減ダメかもしれない。陳腐な台詞にも程があるが、生きている価値を全く感じられない。お前は死ぬべきだ、さっさと死ね、という声がひたすら脳内に聞こえていて、そうなんだなあ、と思ってぼうっとする他ない。机の横に置きっ放しにしていた東畑開人『雨の日の心理学』を読んでみたら面白かった。優しい。線状降水帯による豪雨が首都圏に降り注いでいる、とラジオが放送し続けている。強い雨音がする。

何を躊躇っているのか未だによく分からないが、再び就活を続けることに対して強い抵抗がある。これ以上、自己を綺麗にパッケージングして誰にも差し出したくない。いや差し出すこと自体は構わないが、自己? 自分? を強く見せること、そのために多かれ少なかれ嘘を交えること、そしてそれが評価されることが苦しいのではないか。本当にそうなのか。怖いだけではないのか。何が怖いのか。未来ではない。過去を掘り返すこと、尋ねられることが? ESが書けない。今まで生きてきた。何かをしたり、何もしなかったりしたこともあるけれど、それらの全てに大した意味はない。物語にしてくれるな、と思う。働きたくないわけではない。

よく吟味せずに分厚いリングノートを買ってはみたが、左側のページを書くときはリングがとても邪魔だ。気が滅入る。字が綺麗に書けない。雨脚が強くなってきた。文化放送は阪神対広島の試合を流している。今日は木曜日なのにセ・リーグの試合がひとつだけしかない。適当、仮の姿として、というのがセオリーなのは百も承知だが、それは余裕があるからこそ? 言えること? ではないか? その葛藤が苦しい。分かっているからこそ、ままならない身体が憎い。