2025.04.01

終電に間に合った。東横線の車内でストゼロの長いやつを開け、座れなかったのでドアに寄りかかって飲んだ。アホみたいに美味い。『ノルウェイの森』で直子が「一生18歳と19歳の間を行ったり来たりするんじゃないかって思うわ」と言っていたけれどまさにそんな感じだ。俺は一生大学から出られないんじゃないか。今日も専攻別のガイダンスがあるらしい。今年は流石に出なくていいだろう、5年目の三田だと思うと末恐ろしい。日吉を合わせると6年。6年て。乳児が年長になる、小1が小6になる、医大の奴が研修医になる、立派なことだ。更地だった高輪ゲートウェイの駅前にはいつの間にかオフィスビルが林立しているらしい。

数年前に横浜マラソンを走った。みなとみらいを始点に湾岸を南下し、南部市場で折り返して通行止めの首都高を北上して戻るのだが、首都高のランプをちょうど上りきったところで脚がまったく動かなくなった。路肩に倒れ込んで天を仰ぐと、晴天の下、何百、何千のランナーが群れをなして、途切れることなく自分の横を駆け抜けていった。その無数の足音と蛍光色のシューズが、爽やかな劣等感の象徴として今も脳裏にこびりついている。

卒業式に行った。営業マンになる佐藤くんはサイドを青く刈り上げてオールバックに、藤野くんはブライトネイビーのスーツをしゃんと着こなし、ホナミちゃんは豪華な花柄の振袖に、紅い袴とかんざしが似合って可愛かった。ゼミの皆とも会った。アイザワくんは立派な袴姿で、華奢で可憐な年下の恋人を連れていた。iPhoneを渡してシャッターを押してもらった。大きな花束を持っていた。

牡蠣に当たって寝込んでいたワカオくんとは数日後に三田で会った。スーツ姿のワカオくんが学生部のオフィスで学位記を受け取ったり、証明写真を撮ったりしているのを、僕は横からずっと茶化していた。旧図書館の前や東門の真っ白な橋や、パネルで囲われた喫煙所や「龍祥軒」の前なんかで写真を撮ってあげた。ランチは1100円、とくに茄子と豚肉の炒め物が絶品だった。

思えば彼との出会いは南館2階の自販機の前だっただろうか。2年前? 3年前? さっき同じ授業で自己紹介してた人っすよね、と僕が声をかけて、それでちょっと話しただけで仲良くなった。noteで日記を書いていることを知った。ラップをやっていることも知った。この前出たLIBROの64barsがマジでヤバかった、という話をした。多摩川で釣りをした。鰻は釣れなかったが小さなハゼが釣れた。芝浦にも若洲にも行った。彼が教えてくれた文芸創作の授業に潜って、そこで佐藤くんの小説を読んだ。放課後、西校舎の冷たい廊下で佐藤くんを捕まえて連絡先を尋ねた。交差点のところのサイゼで、一本1000円のワインをこれでもかというほど飲んだ。「3人で文芸誌をやろう」という話になった。

カウンセラーのおばちゃんが退職した。ブランクもあったが4年通ったことになる。最終日、失礼ながら定年ですか、と訊いたらそうだと言った。申し送りは一応しておくけれど、もうあなたは来なくても大丈夫でしょう、何かあったら連絡して、ということだった。好きな本を教えてもらった。やはり武田百合子の『富士日記』らしい。フロイトやユングや河合隼雄やカール・ヤスパースや、広隆寺にある半跏思惟像の話をした。とらやの羊羹を渡した。別れしな、卒業するわけでもないのに「おめでとうございます」と言われた。その意味を今でも考え続けている。

昨日は職場のシキノさんが最後の日だった。男の一人暮らしで花瓶など持っているはずなかろうと思い、アレンジメントの花と手紙を渡した。「青や白のクールな感じで」と頼んだあと、思い直して黄色に変えてもらった。今月はあちこちで花を渡した。たくさんの人に世話になった。感謝を伝えたり、何かをあげたりすることで他人に喜んでもらえると嬉しい。しかしそれでもやはり、足りない。いい加減、前に進まねばならない。

電車は多摩川を越える。橋に差し掛かった音がする。暗くて外は見えないが、丸子橋が向こうに架かっている。『親密さ』第一幕の終盤で、良平と令子が夜中の丸子橋を歩くシーン、距離を取って押し黙っているふたりをカメラはワンカットで追い続ける。車が通り過ぎてゆく。発した言葉がかき消される。永遠かと思われるほどのロングテイク。そのうちに空がだんだんと白んできて、夜明けを迎える。言葉は想像力を運ぶ電車ですーーそう、作中で何度も繰り返される。そんなことを思い出していた。