研究室棟の待合に着くと先生はまだ来ておらず、ソファに座って来訪を待つことになった。とはいえ学生の出入りがほとんどない場所で、ラフな半袖に大きなリュックサックの奴がソファにふんぞり返っているのも妙かと思い、立ち上がって掲示板に貼られているものを眺めているふりをしていた。大学が開催する社会人向けの講演会は二週に一度のペースで開催されていて、東浩紀の回もあったのでそれは申し込んでみるかと思われたが既に終わっているようだった。今井むつみの回もあった。訂正可能性の可能性、訂正。じきに先生がやって来て、じゃあ行きましょうか、と待合の隣のサロンに通してもらい、そこで色々と話した。卒論、就活、ゼミ合宿、卒業、そのどれもが現実感を欠いたものであり、そしてその通り、そのようなものとして語られた。自死で友人を一人亡くしたことがある、と彼は言ったが、それすらも同じ口ぶりで語られた。いくぶんか時代を感じさせる重厚なサロンでの会話は、面接で訪れた出版社のそれを思わせ、そして自分がそこに居たという事実と、この先は居ないという事実を改めて突きつけられたような気がし、いつまでもそんなことを言っていては仕方がないが、それでも先生は僕以上に僕の将来のことを考えてくれているようだった。そうですね、あなたは、ビジュアルっていうんですか、眼に見える空間づくりをするようなことが向いていると思いますよ、ホストとかもいいんじゃないですか、と早口で言う先生に、はあ、はあ、そうですかね、そうなんでしょうね、と分かったような分からないような口ぶりで相槌を打った。不思議なものだ、と思った。
髪を切り、夜からは喃語さんと待ち合わせて飲みに出る。「ゆくゆくはでっかい犬飼って旅館とかやりたいっすね」という喃語さんは豪気な酒の飲みっぷりで、飲み放題の店で生ビールを次から次へと空け、それに合わせて次から次へと会話が弾んでゆく、弾むといっても日記やnoteの投稿をきっかけに知り合った仲なので話は早々に互いの創作論のようなところに及び、もっとも論と言えるほど大層なものではないが、彼の追求するハードボイルドなネタツイ(ハードボイルドなネタツイ?)や面白いと思える文章のこと、それを体現するものとしての日記、旅行記、ツイート、など、たいへんに話は盛り上がり、終電近くまで公園で缶チューハイを啜っていた。最近は自分の書いたもの喋ったものに何かを言って頂けたり、そこから話が広がったりすることが多く嬉しい。こんなに酔っ払ったのは久しぶりだ。