開設したポッドキャストにさっそくお便りがあって嬉しい。「梅雨の憂鬱を忘れられるようなオススメの本を教えてください!」とのことで、僕としてはまだ梅雨の心地ではなかったが読書という行為とメランコリックな心持ちが密接に結びついていることに変わりはなく、それを忘れられるような爽快な本とは一体どんなものであろうか。最近は特に小難しい本にばっかり目を滑らせているから、逆に紹介してもらいたいほどである。思えば小中学生の頃は爽快な物語を求めていたのだろう。『ズッコケ三人組』シリーズは株式会社を作ってラーメンを売る話が一番好きだったし、司馬遼太郎の『城塞』や池波正太郎『真田太平記』では、奇策がはまって徳川軍がこてんぱんにやられる所を何度も読み返していた。なんなら筆名は『真田太平記』の向井左平次に由来しているということを、自分でも今更思い出した。
授業が始まるまで時間があったので、田町で降りずに東京駅まで乗り、丸善本店の医学書コーナーで平積みになっていた赤坂真理『安全に狂う方法』を買う。医学書院のシリーズ 「ケアを開く」の最新刊だ。柴崎友香の『あらゆることは今起こる』がかなり良く、その流れで、といったところで、読んでいて思い出したが僕は何年か前に赤坂真理の講演を聴いたことがあるのだった。その講演に際して「秘密」というテーマで作文を提出するよう先生を通して言われて、たしか学年でひとりとかの人数だった気がする、事前に書いて提出したそれが当日どのように講評されるのか楽しみでいたけれどなんにも触れられずに、彼女が感情を込めて震えながら話すのを呆然と聴いた本部棟地下1階の視聴覚室。その赤坂真理だった。
お酒を飲む人は、緊張をやわらげたくて飲んだ。すると緊張はやわらいで、幸せだったはずだ。その幸せが忘れられなかったからこそ、その方法に固着した。その方法しか知らなかった。その方法しか効かないと思い込んだ。その方法自体、ダメージの大きいものだったということは、始めたときには知らなかった。あるいは頭では知っていたとしても、今ここにある苦しみから逃れることで精一杯だった。切迫詰まっていた。
赤坂真理『安全に狂う方法』医学書院 2024 p21
より大きな自分になりたかった。より強い自分にすぐなれてうれしかった。楽にすぐなれた。だからそれに頼った。固着した。最初の成功感が大きければ大きいほど、それにとらわれる。
同前 p27
夕方からはふたたびポッドキャストの収録に精を出す。仲通りのカラオケの、通されたのは先週と同じ角部屋で、机をふたつ並べてその上にコンデンサマイクを置き、それを挟むようにしてワカオくんとL字に向き合った。今回は田中慎弥の『共喰い』について話すということで、性と暴力の小説をどう扱えばいいのか、一回録りで何かまずいことを言ってしまわないだろうかと危惧していたが、案外そんなこともなく聴くに堪えるお喋りを展開できた、だろうか。物心ついてから、僕は録音された自分の声がとても嫌いだったのだが、ポッドキャストともなると流石に諦めがついたというか、慣れたというか、意外と悪くないのかも、と思えるようになり、よりテクニカルな部分、喋り方や相槌の打ち方が気になるようになってきた。
編集と告知を終え、打ち上げと称して芝浦口のビルにある中華でワンタン麺とビールを頼むと、カウンター越しの厨房と、忙しそうに立ち働く外国人の店員たちを眺めて、「あの鍋ずっと洗ってないやつだよ」とワカオくんが言った。