2024.06.05

 今日はたしか補講日で昼の授業はなかったはずだから急いで身体を起こす必要はないことを思い出し、それでも確証が持てなかったので枕元に転がっているiPhoneを探り当ててから「三田 文学部 履修案内」と検索して学事のカレンダーを見にゆき、たしかに授業がないことを確かめた。それで寝た。起き抜けに身体の軽さを感じ、いま何気なく身体と書いたがそれは頭かもしれず、あるいは心なのかもしれない、ここ数日忘れずに薬を飲んでいるのが効いているのだろうか、そうであって欲しい。セロトニン、ドーパミン、ということを思う。洗面所に立つと台所の母親が「あんた今日出掛けるの?」と尋ねてきたので何の用かと訊くと、眼科に連れて行ってほしいと言い出したので果たしてその通りにした。ついでに僕も検査をしてもらったが、普段からだいぶ杜撰なコンタクトの運用をしている上に前回の検査から3年ほど経っているため、なんらかの異常や視力の低下があるかと自分でも思われ、さらに母親はそれを望んでいるかのような口ぶりさえ見せていたが、予感は外れて診察は一瞬で終わった。帰り際に受付で払った850円が安く思われた。

 久々に文章を書いている。僕の影響で先月から日記を書き始めた彼ーーきみのことは何て日記に書けばいいかな、カタカナで苗字かな、と訊いたところ、うーん僕は君の前では平仮名の苗字だな、と言われたので、なんかそれエロいな、と僕がこたえた。ひらがなで、ふじのくん、と言うーーは、最近は更新が2日おきになって毎日書き続けることをちょっと負担に感じていそうだが、日記なんて適当でいいんだよ、とマジで思う。まじでおもう。自分に言い聞かせてもいる。近ごろ僕は人前で「向井かける」として振る舞うことが増え、その時になんと自称すればよいか困って「日記を書いています」としか言うことができないのだが、肝心の日記すらこの有様で、1ヶ月弱のあいだ当たり前のようにすっぽかしたりしている。続けることは難しいが、その難しさをわざわざ引き受ける必要はない。日記なんてもともと書かなくていいんだし、それをアイデンティティになんてもっとしなくていい、毎日書くのと同じように毎日生きることはだいぶ難しいと僕には思えるし、むしろそれだけで十分なのではないか。

 駅のカフェでパソコンを展げ、ポッドキャストの告知をする。本当は先週に録り終えて公開も済んでいたのだけれど、僕が告知の文言づくりやお便りフォームの整備を面倒くさがっていて、LINEで催促してくるワカオくんを適当にあしらってずっと放置していたのだ。一念発起しないと事を起こせなくてすまん、ええんやで、の関係性に甘えている。例えばみな簡単に「お便り」というけれど、提示されるのはだいたい簡単なアンケートフォームかメールアドレスで、どこの馬の骨かも分からない奴にいちからメッセージを送るのはいくらなんでもハードルが高すぎるのではないかと思う。だからGoogleフォームに長文を連ね、こちらにも血の通った人間が居るんだぞ〜ということを示した上でなにかを書いてもらうようにし、その勢いでTwitterにリンクも張ったので、めでたく「ヤケクソ文學ラヂオ」が世に出る運びとなった。満足して水道橋に向かって巨人戦を観、今日は外野応援席からの観戦だ。序盤、ネフタリ・ソトに3ランを打たれてロッテに先制を許した巨人は、継投の泉もタイムリーを打たれて4-0で敗戦が濃厚になり、しかし9回裏の2アウトからだいぶ巻き返して1点差にまで迫った。