2024.05.07

 歩いていると対岸の歩道にしゃがんでいる人が見えた。日中はたまにバスも通るような生活道路である。歩道の向こうは金網を隔てて大きな遊水地になっているから近所の人が道端の草むしりでもしているのだろうと思ったら、ピンク色のランドセルを背負った女の子がこちらを向いて座っているのだった。彼女は膝の前でしっかりと手を組んで体育座りをし、特にどこへも目線を合わせるわけでもなく、ただそこに居た。たしかにすぐ傍に小学校があるからそこの生徒なのだろうが、登校時間でも下校時間でもない。どこかが痛いと言いたげに苦しんでいる様子でもなく、とはいっても車道を隔てたこちら側から見やっただけで彼女が苦しんでいるかどうかなど判りかねるのだが、いかにも自然に、「私はこうやって、ただ道端に座ってぼうっとするのが好きなんです、いいでしょう?」というふうに見えた。教室を抜け出してぼうっと近所に座っているだけの時間はどんなに素晴らしいだろう? もし本当にそうなのであれば、彼女の意思はぜひとも尊重するべきだし、そこに「どうしたの?」と水を差したり、あわよくば小学校に連絡を入れたりするほど野暮なことはない。過去の僕は「教室」的な場所から逃げ出す術を知らなかったしそんな勇気もなかった、それゆえに彼女が自らの意思で学校を抜け出して道端で薄曇りの空をただ眺めていることをむしろ讃えるような気持ちになった。
 とはいえ、本当にいいのか? 彼女が本当に困っていたら? 事件性があったら? という疑念は次々とやってきて、この前観た『悪は存在しない』で森の中に防災無線が響き渡るシーンのことや、むかし詐欺の取引を目撃してしまい警察沙汰にしたことだとか、そのほかにも僕は困っている人を放っておけないたちで割とすぐ人に声を掛けてしまう。そして大抵の場合「大丈夫ですか」とつい言ってしまうがそれは好ましくないだろうか、今だったら怪しまれずにどう声をかけるべきなのか、「こんにちは!」も違うよな、などとぐるぐると考えているが、それはいわゆる正義感と呼ばれる性質のものではなく、「おや」と思った事柄を無視した自分に対する良心の呵責に耐えられないからなのであった。どうせこのこともずっと気にするだろう、引き返すか、ともう一度振り返ったら、彼女が座っている側の道にバスがやって来て、ほど近くにある停留所に停まるところだったので、それならば降りて来た客の誰かしらが彼女に声をかけるに違いない、この時間のこのバスに乗っている人の多くはご老体で、通勤時間の殺伐としたサラリーマンたちとは違い、道端の違和感に何かしらのアクションを起こすだろう、そうであって欲しい、と勝手に期待して立ち去った。あるいはこの世の人ではなかったのかもしれない。

 今日は文芸誌の発売日で、目当ての「新潮」は近くの文教堂と大学の生協には置いていなかったから授業が終わってから芝浦のくまざわ書店で買った。本屋は怖くないが本が怖い、文芸誌は特に怖い、小説も批評も怖い、わからない。綺麗に並べていた部屋の本棚は崩したきり全部横に積んでいる。「文學界」はどこもいちはやく入荷していて、今月は薄紫の装丁でヘッドライナーは尾崎世界観だ。来るべき文フリで編集部は一体何を売るのだろうか、日程は一応空けているが文フリに対する興味も薄れてきた。他人事でしかない。6月号の「新潮」は120周年ということでビッグネームが勢揃いだ。

 村上春樹の短編『夏帆』は珍しく女性の三人称で書かれ、顔とアイデンティティの問題を救いある形で着地させているが、これは『品川猿』の構造に似ている。特有の中黒カタカナも健在だが、「ダブル・スタンダード」や「デート・アプリ」といった単語が出てくるあたりだいぶ現代的になったものだ。さらに男性性の象徴として登場するのは、今回は車ではなく「BMWの1800cc」のバイクで、かつて彼の小説にバイクが登場したことはあっただろうか? そういえば宇野常寛は『砂漠と異人たち』で「アラビアのロレンス」が愛用する大型バイクと村上を繋げて論じていた。続けて千葉雅也『プロンプト』、山田詠美『死刑待ち』、吉田修一『旧岩淵水門』あたりを読む。鼎談の滝口悠生がかなり良かった。

滝口 うん。何かを散文的に書いている限り、どんなに絶望的なことを書いていたとしても絶対に絶望だけに染まることはないと思うんですよね。書くことって必ず希望につながってしまうというか。めちゃめちゃ苦しい境遇にある人が自分の来し方や現状を書き綴ったとしても、その文章は何かしら絶望じゃない状態にしか向かわないはずなんです。じゃなきゃ書けない。なけなしの希望がひとになにかを書かせる。あるいは、とにかく何か書きつけたところに希望が生じる。その時に小説という形式が必要になる。

上田岳弘・小山田浩子・滝口悠生『特別鼎談 新潮新人賞受賞から十年 ――何を考え、どう書いてきたか』
「新潮」2024年6月号 p284

 昼くらいから喉の奥につっかえる感じがあったので、喉風邪の予兆は大量のニンニクで消し去るという信念のもと豚山でラーメンを食べ、久しぶりにジムに寄って帰った。