このあいだ知人に「よく数日前の日記を書けますね」と不思議がられたが、僕としては昨日のことすら大して覚えていないため、iPhoneの位置情報の記録を頼りにその日に自分がどこへ行ったかを知り、思い出せたことだけを書いている。最近は日記についての感想を頂くこともあって嬉しい。友人は就職活動の二次面接で「最近の偏愛」を訊かれ、苦し紛れに出てきたのがこの日記だったらしい。「自分と正反対の怠惰で明るい大学生の生態が赤裸々に読めて楽しいんですよ! や、怠惰は言ってないわ、明るくて友達が沢山いて、飲み歩いて……っていうのが別の世界みたいで〜とか言ったかな」とのことだが、僕としては全くそんなつもりはない。怠惰には自信があるけれど、明るいふりをするのは大いに疲れるうえ友人は作らないようにしているし、飲み歩くのは基本独りで何なら最近は飽きた。この文章が赤裸々かどうかも怪しい。そういえば去年の今頃、恋人も同じように最終面接で「最近ハマっていること」を訊かれ、「彼氏の日記です、とは言えないから他人の日記です、って言って、一緒に下北で買った『そもそも交換日記』の話をした」らしい。両人とも面接官へのウケが良かったそうで、たいへん殊勝なことである。
当の本人は、本日23時59分までに提出しなければいけないエントリー・シートを前に寒い部屋で頭を抱え続けていたところで、頭を抱えるというとコダックのようで可愛らしく聞こえるけれど、その実は目も当てられない。大学の卒業式を控えて毎週のように海外旅行に繰り出す恋人に嫌味のひとつでも言いたいところだが、こればかりは自分が悪いというか、ただ能天気に人生を謳歌している人に水を差しても何も良いことはない、と思う良心は辛うじて働いている。しかしクソなものはクソだ。自己嫌悪のサイクルに呑まれている、今日も朝から冷たい雨が降っていて一体いつになれば暖かくなるのか、ここ最近は抑鬱への対処療法として滝口悠生に倣った「読書、散歩、掃除、バッティング」のサイクルを回してなんとかやっていたが、部屋のカーテンを開けてがっかりするようなこの天気で何か行動を起こせるはずもない。埒が明かないのでコンビニに缶チューハイを買いに行こうと厚手の靴下にベランダ用のサンダルを履いて外に出たら、くるぶしより下がずぶ濡れになった。しばらく飲まないようにしていたうちにストゼロはデザインを大きく変えて196という文字を前面に出すようになって、そういえばアサヒは度数9%のチューハイから撤退したようだがサントリーはこれからも続けるのだろうか、アルコールに頼るとどんどん文章が書けて楽しいことが知れる。年始から「酒はオワコン」を提唱して筋トレだのダイエットだのをしていたけれど、大きくマイナスに振れたマインドを人並みにまで戻すにはこれしかないのだろうと、エディタに埋まったこの文章を大きな塊として捉えながら思っている。「たぶん何杯か飲んでやっと他人の気分に追いつけるんだよね」ということを昔からよく言っていた僕は傲慢だろうか? まず得体の知れない憎しみや嫌悪感や怒りがあって、それを他人に向けるといけないから抑え込むために自分に向けてきた。なんとも殊勝なことである。