ほどなくして取り壊されるのだろう、森永プラザビルのテナントは軒並み閉店していて外には相変わらず冷たい雨が降っていた。駅前は再開発が行われ、次に新しいビルが開業するのは2028年らしいから来年の卒業まで三田口はつまらないままになる。ワカオくんやタキくんと昼休みに喋った薄暗いサンマルクコーヒーやモバイル充電器を借りるためだけに入るタリーズや、別に品揃えが良いわけでもないけれど気を紛らわすためだけに立ち寄っていた虎の門書房はもう無くなってしまったのだ。
いつもの理容室で散髪。何も考えずに平日の昼間に予約を入れてしまったので、担当のマツバラさんは終始忙しそうにしていて他のお客さんとの兼ね合いがあるのだろう、顔剃りと肩マッサージはアシスタントらしき若い人がやってくれた。左耳にピアスをしていたことは覚えているが、どんな顔だったかは忘れた。
「このあとはどこか行かれるんですか」
「はいバイトですね」
「バイトはどこであるんですか」
「初台、ええと新宿の方です」
「居酒屋っすか」
「いや、飲食店ではあるんですけど、なんだろうブックカフェみたいなところですね、本を読むひとが来るような。お酒も出したりします。」
「へえ、そうなんすね、てことは本読むの好きなんすね」
「まあ、はい、そうですね」
彼はこの先の会話が続かなくなったようで、僕は「普段本とか読まれますか、いや読まないっすよねえ」とか、「お兄さんは働き始めて何年目なんですか」とか、「ところでどんな音楽を聴かれますか、僕は日本のヒップホップをこよなく愛していて割と守備範囲も広めで、そうだなあ時代で言うとさんぴんCAMPからラップスタアまで、トラップもブーンバップもチルいのも、あるいはポエトリーも少しは分かりますし、見た目だけで言えばお兄さんもBADHOPとか好きそうな雰囲気ありますけどそんなことないっすか? 舐達麻とのビーフはどのようにお考えですか?」とかいくらでも言うことができたのだけれど、なんだか客の立場でそこまで気を遣う必要もないか、そこまでお人好しである必要もないな、などと思ってずっと黙っていた。