昼過ぎに車を洗いはじめて、気づいたら日が暮れていた。軽く寝て横浜へ。ジョイナスの有隣堂で『断腸亭日乗』の岩波文庫版を買う。袋はいらないです、と言うと「お買い上げのしるしに、本に帯を巻いてもよろしいでしょうか」と訊かれ、言葉が生き生きとしていた。「研修中」の札を付けた若い店員だった。しるしに、本に、帯。荷風を読み始める。「解説」によると、彼は明治29年の春から「文章の練習」のために日記をつけはじめ、亡くなる前日まで続けたという。続けたといっても、明治40年代に文壇活動が忙しくなったときには日記を書かず、それまで日記に記していたような社会批判や嘆きを他の創作に盛り込んでいたらしい。『断腸亭日乗』には、文壇活動が落ち着いて日記を再開した1917年9月16日からの記録がなされている。その多くは「九月一六日。秋雨連日さながら梅雨の如し。夜壁上の書幅を挂け替ふ。」(1917年9月16日)のように、その日の天気や街の様子と自分の行動を簡潔に記すものだが、ときおり筆に力が入る日がある。
四月六日。日は高くしてなほ起出るに懶し。朝の中褥中にありて読書す。感興年と共に衰へ、創作の意気今は全く消磨したり。読書の興もまた従つて倦みがちなり。新聞紙の記事によりて世間の事を推察するに、天下の人心日に日に兇悪となり富貴を羨み革命の乱を好むものの如し。余この際に当りて一身多病、何らのなす所もなく、唯先人の遺産を浪費し暖衣飽食空しく歳月を贈るのみ。胸中時として甚安ぜざるところあり。然れどもここに幕末乱世の際、江戸の浮世絵師戯作者輩のなせし所を見るに、彼らは兵馬倥偬の際といへども平然として泰平の世にあるが如く、あるいは滑稽諷刺の戯作を試みる者あり。あるいは淫猥の図画を制作する者あり。その態度今日よりこれを見れば頗驚歎に値すべきものあり。狂斎の諷刺画、芳幾の春画、魯文の著作、黙阿弥の狂言の如き能くこれを証して余りあり。余は何が故に徒に憂悶するや。須く江戸戯作者の顰に傚ふべきなり。
永井荷風『摘録 断腸亭日乗 (上)』岩波書店 1987 P27 ※1919年4月6日
荷風は「反時勢、反政治」を標榜し、社会に対する無関心と個人主義を貫こうとしたらしい。『断腸亭日乗』では、その名のとおり自身の病が通奏低音になり、関東大震災や戦争といった社会的に大きな出来事に対しては距離が置かれ、半径ゼロメートルにおける生活の断片が記録されているーーなんとも面白そうではないか。福尾匠は日記を書くにあたって「充実している日」のことを「イベントフルネス」、逆に「ネタ切れ」の状態を「イベントレスネス」と呼び、イベントフルな日はかえって日記を書くのが難しい1と言う。イベントフルな日は、出来事を羅列するより「たとえば帰りに携帯灰皿を見ると一本だけ友達のフィルターがそこに混ざっていたとか」いった些細なワンシーンを書いた方がかえって良い日記になる2。いかに一部を切り取ってその他の象徴的な出来事を振り切るか、ということは「いいねがもらえそうな流通可能」性を自覚することに繋がり、そのような輪郭に文章を従属させることから逃れる試み3 4として福尾は日記を捉えている。荷風もきわめて個人主義的な文脈で「イベントレス」な日々を断片的に記録し、「イベントフル」なことに対しては、政治的な輪郭や時勢に回収されることに抗うような態度を取っている――と言えそうでないか。
- https://tfukuo.com/2022/05/04/%e6%97%a5%e8%a8%98%e3%81%ae%e7%b6%9a%e3%81%8d28/ ↩︎
- https://tfukuo.com/2022/05/06/%e6%97%a5%e8%a8%98%e3%81%ae%e7%b6%9a%e3%81%8d30/ ↩︎
- https://tfukuo.com/2022/05/09/%e6%97%a5%e8%a8%98%e3%81%ae%e7%b6%9a%e3%81%8d33/ ↩︎
- https://tfukuo.com/2022/05/20/%e6%97%a5%e8%a8%98%e3%81%ae%e7%b6%9a%e3%81%8d43/ ↩︎