2024.01.01

蔦が絡みついた柵の下にはトレーラーヘッドや重機が整然と並んでいて、その向こうにみなとみらいのビル群が見えた。観覧車が10秒前からカウントダウンをはじめ日付が変わると、太い汽笛がぼう、と響き、それに合わせて遠くのあちこちから車のクラクションが、高い音でファンファーレのように重なった。一瞬の間を置いて港の二箇所から低い花火が揚がってしばらく続いた。朝になり沼田へ。父親の運転。今年は母親も行くと言い出したので助手席を譲り、僕は久しぶりの後席でぱらぱらと本をめくったりnoteを開いたりしたが、やはり車内では読めず書けずで寝た。年末に『構造と力』の文庫版と『ニッポンの思想』の増補版が出て、交互に読み始めたところだった。『構造と力』は、硬派な空気を放っている本編を放り出して「序に代えて」と千葉雅也の解説を何度も反芻しているだけで一丁前に読んだつもりでいる。

その上であえて言うのだが、ここで「評論家」になってしまうというのはいただけない。〈道〉を歩むのをやめたからといって〈通〉にならねばならぬという法はあるまい。自らは安全な「大所高所」に身を置いて、酒の肴に下界の事どもをあげつらうという態度には、知のダイナミズムなど求むべくもない。要は、自ら「濁れる世」の只中をうろつき、危険に身をさらしつつ、しかも、批判的な姿勢を崩さぬことである。対象と深くかかわり全面的に没入すると同時に、対象を容赦なく突き放し切って捨てること。同化と異化のこの鋭い緊張こそ、真に知と呼ぶに値するクリティカルな体験の境位であることは、いまさら言うまでもない。簡単に言ってしまえば、シラケつつノリ、ノリつつシラケること、これである。

浅田彰『構造と力 ――記号論を超えて』 中公文庫 p.18

どうも〈評論家〉しぐさというのは自分のことを言われているようでならない。特に去年はそれが顕著だったように思う。現に、数人に「〈評論家〉みたいにならないほうがいいっすよ」「斜めから見ていても、その視点を持ったままフィールドワークみたいな感じでやってみるともっと面白いっすよ」と言われたことは大事に覚えている。いい加減そろそろ動かなければいけない。多動、ということを思う。多動、多動、「静かなる多動」という一節がふと浮かんで貼りついたまま、この言葉を今年の標語に仕立て上げる。「今年の抱負」を尋ねてくる物好きな知人には「元気?と訊かれて元気ですと答えられるようになりたい」と答えた。

田舎に行くと、従姉妹の一家が来ていて賑やかだった。ニューイヤー駅伝はトヨタが首位を独走している。子どもは姉弟で、それぞれ小4と年長になったそうだ。弟のほうが絵画のコンクールで賞を取ったらしく、こんど東京タワーに飾られるといって茶の間はその話題でもちきりだった。従姉妹と旦那の両家を巻き込んで、週末に10人乗りのレンタカーを借りて皆で観に行くそうで、まるでサザエさんやちびまる子ちゃんの特別回のような話だ。「じゃあ初めての東京?」と弟のほうに訊くと、従姉妹が代わりにそうだと答えた。「ぼく、ディズニーランドも、行ったことない」とのこと。コロナだったもんねえ、と言う。この家で僕は都会っ子として扱われ、僕も都会っ子としての振る舞いが求められている。「何をしているんだか分からない親戚のおじさん」になるのも時間の問題だろう。従姉妹一家と入れ替わりで伯父と伯母がやってきて、軽く世間話をして早々に僕らも辞すことにした。帰りの車で地震を知る。友人のタオちゃんが帰省先の氷見で被災したとのこと。とりあえず高台に避難したは良いがいつ家に戻って良いのかわからん、一旦帰りたい、とLINEが来て返事に困る。避難所はだいぶ寒く、なにより高齢の祖母が帰りたがっているらしい。現地を思いながらも、津波警報が出ている間は絶対にやめろ、だめだ、と返すしかなかった。夜になっても酒を飲む気分になれず、車を洗いに行ってその足で鶴見のスーパー銭湯へ行った。サウナのテレビも緊迫した報道を続けていて、どうにも居心地が悪かった。